虐殺博物館に行った後、ロンサレム島で考えたこと
今回の旅では、カンボジアの虐殺博物館とキリングフィールド、ポーランドのアウシュヴィッツとビルケナウ強制収容所、タンザニアの奴隷市場、、、と負の遺産にも足を運びました。
その中の一つ、カンボジアで虐殺博物館とキリングフィールドを訪れた後に、ロンサレム島という何もない島で考えたこと。
書いて公開せず終いでしたが、カンボジアは自分の人生観が大きく変わった国なので、恥ずかしいけれど当時書いたものをのせようと思います。
以下、前半ショッキングな内容を含むので、苦手な方はお控えください。
カンボジアの首都ブノンペンで、虐殺博物館とキリングフィールドに行った後、
ロンサレム島で考えたこと。
ポルポト政権の下、行われていた残虐な行為や大量虐殺・・・
ろくに食料も与えられないなか過酷な労働を強いられ、
虐待されていた人々が閉じ込められていた収容所に、
収容所での生活の後、虐殺が行われていた場所。
虐殺博物館には数々の写真があり、虐待に使われた器具があり、
生々しい体験者の声をオーディオで聞いたりして、大きなショックを受けた。
収容所での生活がいかに過酷なものだったか、
虐待がいかに非人道的なものだったか、
人間はこんなにも怖い生き物に成り得るのか、、、
キリングフィールドにあったのは、
赤ん坊の両足をつかみ、頭を叩きつけて殺すのに使われたというキリングツリー。
赤ん坊が殺されたのは、母親の目の前で。
様々な方法で殺された人々が、放り込まれたという穴。
殺される直前にレイプされた女性もいたという。
殺される時は、叫び声が外部に漏れないよう、大音量の音楽が流されていた。
見学後、ロンサレム島という何もない平和な島で、自分自身について振り返った。
戦争もなく、日本という先進国にいる自分が何を恐れているのかということ。
自分がいかに恵まれた環境にいるかということ。
日本に住んでいれば、何だってできる。
失敗を恐れず、チャレンジさえすれば。
どんな生き方をしたとしても、どうにかして生きていくことはできる。
海外の発展途上国を旅するうえで、聞く言葉。
「日本に行ってみたいけどお金がない」
「君は旅できてラッキーだね」
「ビザを取るのが難しい」
「自分の国は貧乏だから」
日本人の私は、働いてお金を貯めれば海外に行ける。
観光ビザを取るのも、大半の国のビザは日本人なら簡単に取ることができる。
旅はその一例で、日本に生まれてきた私たちは、がむしゃらに働きかければ、大抵のことはできると思う。
大きな夢を持っていても元々の環境から叶えられる可能性が低い人がいるなか、
なぜ環境を生かして働きかけないのか。
「年齢」「お金」「環境」「才能」
・・・これらを理由にするのは、言い訳に過ぎない。
普通は何歳でどうして・・・とか関係ない。
周りの人たちがどう生きていようが関係ない、
周りの人たちに何を言われようが、自分が幸せなのが一番。
流されてしまわないよう、
自分を見失わないよう。
いつ死ぬかわからぬ人生、悔いなく好きなように生きよう。