【オーペア】ファミリー探しに奮闘の巻
6月下旬。
オーストラリアに来て7ヶ月経った頃、念願の2ndビザを取得\(^o^)/
その後にまずしたかったことは、オーペアをすることです。
「オーペア」とは、
家事や育児に協力する代わりに、住まいと食事を提供してもらえて、+おこづかいをもらえる制度。
欧米諸国ではポピュラーな制度で、簡単にいうと住み込みのナニーみたいなものです。
オーストラリアに来るまで知らなかったオーペア。
オーストラリアに来たばかりの頃にタスマニアで出会った女の子がオーペア経験者で、話を聞いて以来ずっとやりたいと思っていました。
オーストラリア人と生活を共にすることは、完全英語環境なので英語力向上にも役立つし、オーストラリアの一般的なファミリーがどんな生活を送っているのか興味もあったし。
また、ワーホリでは日本では経験することのない特別な経験をしたかったので、オーペアはぴったりだと思いました。絶対に良い経験になるはず!と。
それから月日が経ち、、
無事に2ndビザも取れたことだし、いよいよオーペアをやる時がきた!とファミリー探し!
私はaupair worldというホームページ、Facebookのオーペアグループページでファミリーを探しました。
応募したのは、合わせて5つのファミリー。
家族構成は、お母さん、女の子二人、ボーダーコリーのわんちゃん。
オーペアサイトでプロフィールを載せていたところ、オファーがありビデオ通話することに。
プロフィールと写真の印象が良く、ベーシックな質問を受けて答える感じ。
ただ、運転に自信のないことを伝えると、お母さんのテンションはガタ落ち。
聞くと、毎日高速に乗って山を越えての運転をしてもらう必要があるとのこと。
私はそんなに運転することに対して自信がなかったし、話した感じからそんなにピンときませんでした。
案の定、ビデオ通話後は音沙汰なし。
そこから、運転が必要ないファミリーを探すことに。
家族構成は、コロンビア人のお父さん、オーストラリア人のお母さん、そして0歳児の双子ちゃん二人。
オーペアサイトで見つけてこちらからメッセージを送り、ビデオ通話することに。
ビデオ通話をした時にすごく話しやすくて会話も弾み、お互い好印象(のはず!)。
終盤にはいつから来れる?と日程の話にもなり、決定。
仕事内容は1日9時間×週に5日、0歳児の双子ちゃんのお世話をすること。
ポケットマネーは週450ドルと良かったです(大半のファミリーは週200〜300ドル)。
ただ、平日の殆どの時間を赤ちゃん二人と過ごすのは自分が思い描いていたオーペアライフと違うこと、また辺鄙な場所にあり周囲に何もないことから、そこのファミリーは後日お断りすることに。
そこからは、同時進行で三つのファミリーに応募。
このファミリーについてはあまりよく覚えていません。
Facebookページで見つけてメッセージを送りましたが、そのやり取りの感じからあまりピンとこず。
お互いそうだったみたいで、ビデオ通話することもなく、自然とやり取りしなくなりました。
④ブリスベンに住む中国人ファミリー
家族構成は、お父さん、お母さん、そして2歳の女の子。
Facebookページでそのファミリーのお友達が募集しているのを見て、メッセージを送りました。すぐ、そのお友達とビデオ通話することに。
聞くと、そのファミリーは日本人の若すぎないオーペアを探しているとのことでした。
そして、ポケットマネーは週600〜700ドルとオーペアにしては破格でした。
ただ、週に6日勤務だということ、お家に行く前に二週間隔離する必要があること、そしてなんだか話を聞く限り色々と細かそうな印象がありました。
ポケットマネーが高すぎるのも、なんだか色々要求されそうでプライベートがなさそうな気がしました。
⑤ツイードヘッド(NSW州とQLD州のボーダー近くの町)に住むインド人ファミリー
家族構成は、インドから移住してきたお父さん、お母さん、そして高校生の男の子と9歳の男の子。
当時オーペアをしていた台湾人の女の子がFacebookページで募集をしており、メッセージを送りました。
仕事内容は、9歳の男の子の学校への送り迎えや一緒に遊ぶこと、そして簡単な家事。
話を聞いた後、ファミリーとビデオ通話をすることに。
お父さんお母さんが生まれ育った南インドのケララ州に私が行ったことあることもあり、話は盛り上がりました。
→このまま他のファミリーを探すか迷いに迷いまくった末、インド人ファミリーに決めることに。
正直引っかかる点がいくつかありましたが、当時オーペアとして働いていた台湾人の女の子にすごくお勧めされたこと、
お父さんから「今日中に決めて欲しい」と急かされたこと等から、えいやっ!と。。
当時、二番目にやり取りしたオージーファミリーのもとへ行く約束をしていたのですが、こちらはお断り。
そして、インド人ファミリーのもとへ二週間後に移動することとなったのです。
この頃はこれから悪夢を見ることになるなんて、思いもしませんでした。。
→続く。